鉄砲の里、国友を訪ねてみる

戦国時代、勝敗を決めたのは刀ではなく外国からもたらされた鉄砲でした。ポルトガルから種子島に伝わった鉄砲は、製造方法が編み出さ等れると瞬く間に量産され、戦法を一気に変えました。国内では堺・根来そして滋賀県長浜市の国友で製造されました。

国友鉄砲ミュージアム

戦国時代を伝える鉄砲ミュージアムへ

国友町は長浜市の北部姉川の近くにあります。国友鉄砲ミュージアム(国友鉄砲の里資料館)は小さなミュージアムですが、鉄砲の展示では類を見ません。

展示コーナー

ずらりと並ぶ鉄砲の数々。様々な種類があり製造工程や細部の説明があります。実際に銃を持てるコーナーもあります。国友には最盛期に70軒・500人の職人がおり、全国から注文があったようです。

国友一貫斎のコーナー

戦国時代が終わり、江戸時代になると平和な時代となり武器である鉄砲の需要は落ちました。しかし鉄砲の製作技術を活用した新たな製品を発明したのが国友一貫斎でした。様々な製品が作られましたが、反射望遠鏡での宇宙観測は世界に先駆けて行われ、日本の技術力の素晴らしさを伝えます。

国友と自転車

あまり知られていませんが、国友では明治時代に自転車も製作されました。国友と堺は鍛治職人という共通点が多く、もしかしたら国友が自転車の街になったかもしれません。

街を散歩しよう

国友の町

国友町は今でも昔ながらの街の風景を残しており、散策も楽しです。

読書をする像

こうした像と一緒に本を読むのも良さそうですね。

司馬遼太郎の碑

司馬遼太郎の碑がこの町の様子を記しています。今は静かな町ですが、鉄砲生産の最盛期にはさぞ活気のある場所でしたでしょう。今でもその雰囲気を感じ取れる町でした。

国友鉄砲ミュージアム

滋賀県長浜市国友町534番地

国友鉄砲ミュージアムWEBサイト