御土居

取材紀行
京都を支配した秀吉の都城の守り、長大に築かれた御土居を辿ってみる

京都で俗に言われる「洛中・洛外」という概念は、大まかに言えば豊臣秀吉が京都改造で行った御土居という防壁を作り、その内と外を差すとも言われています。 御土居は南は東寺・西は西大路あたり・北は堀川通の北端・東は河原町通り沿い […]

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都名所図会で辿る江戸時代の京都
第28回・都の新たな支配者、豊臣秀吉(1582〜1592年頃)

明智光秀が敗れた後、羽柴秀吉は織田軍勢内で地位の確保に動いた。6月に清洲において信長の後継を決める際に秀吉は信忠の息子で3歳の三法師を担いだ。これにより柴田勝家との亀裂となった。秀吉はさらに天正10年(1582年)10月 […]

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