唐橋

都名所図会で辿る江戸時代の京都
第28回・都の新たな支配者、豊臣秀吉(1582〜1592年頃)

明智光秀が敗れた後、羽柴秀吉は織田軍勢内で地位の確保に動いた。6月に清洲において信長の後継を決める際に秀吉は信忠の息子で3歳の三法師を担いだ。これにより柴田勝家との亀裂となった。秀吉はさらに天正10年(1582年)10月 […]

続きを読む